取材がてら、シャネル銀座ビルディング4階のシャネル・ネクサス・ホールで、9/7まで開催中の写真展「Nostalgie マグナムの写真家たちが見つめたパリ」へ行ってきました。
かの有名な報道カメラマン、ロバート・キャパ氏が提唱、仲間たちと結成した写真家集団「マグナム・フォト」のカメラメンによる、1940年代から現代までのパリの風景を切り取った作品展です。
写真に写し出されていたパリは、私たちの知らない時代のパリであるはずなのに、現代のパリに通じる空気感というかそんなものが写し出されていて、時を経ても変わらない美しきパリを伝えていこうとするパリの人々の"プライド"を感じるような作品展でした。
(とまあ、かっこつけて書いてますが、パリには、卒業旅行でチラッと行ったきりの私ですが。)
それで、以前、ある新聞記事を読んでいて感じた違和感を思い出した。
日本経済新聞によると、国土交通省は日本を訪れる外国人観光客数を2020年をメドに2000万人に増やす目標を打ち出したとか。それを受けて、東京都では、駅構内や街中の道案内掲示を、多国語対応するなど、日本語の話せない外国人観光客に“分かりやすい”情報環境を整備するとの報道。
“国交省によると、2004年の外国人観光客受け入れ数はフランスが約7500万人で1位。中国、イタリアなどが続く。年間2000万人の新目標は9、10位のドイツ、オーストリア並み”(5/24 日本経済新聞より)とか。
パリを観光して思ったことだけど、どっちかっていうと、パリの人たちは親切ではなく、親切でないどころか英語なんか話す気すらぜんぜんなく「フランス語しゃべれないの?話になんない」くらいの勢いだったりする。でも、なんだかそんな自分の国の文化に対するプライドっぽいものが素敵で、街も素敵で、カフェも素敵で、気後れしながらも「これぞパリ♪」なんて、決して便利なんかじゃなかったけど、パリを堪能してる気分になったものだった。フランスの魅力って、こういうところにあるんじゃないかと思うんだ。「これぞフランス」っていうのがきちんとあって、それを国民が大事に守りぬいている。だからこそ、一本筋が通った不変の空気感が、マグナムの写真家たちの作品にも写し出されたんだと思う。
それで、世界の都市TOKYOの話。私は、東京生まれ・東京育ち・東京在住という東京しか知らない井の中のカワズで、東京が大好き。大学の卒業論文も東京をテーマに書いたくらいの年季の入った東京好きです。東京ってとってもキレイだと思うんだ。
こんな私の愛する東京に、外国の方が観光に来てくださる。果たしてその方たちは、自分の国にいるのと同じような“便利”を求めているのだろうか。観光って、そこでしか感じられない“何か”を求めて、くり出すものなのなのではないのかしら。もちろんショッピングが目的で来る方もいるはず。そういう人には、便利であることは、大きなメリット。だから、観光しやすい情報環境の整備するってのもひとつの手だと思う。だけど、もっと他にも、もっともっと大事なことがあるんじゃないだろうかって思うんです。そもそも、何しに来るんだっけ?って話。
ソフィア・コッポラ監督の映画に、“Lost In Translation”っていうのがあって、それは“今”の東京を舞台にしている作品なんだけど、そこに描き出されたお洒落っぽい“TOKYO”に憧れてるオーストリア人の男性に会ったことがある。「あの映画みたいにKARAOKEしたい。」って。これって、外国人が、おフランスの香りに憧れるのと同じに、ソフィア・コッポラが表現してくれた“TOKYOの心意気”に、外国人である彼がロマンを感じてくれたってこと。
こういう“中身”を忘れちゃいけないんだろうなあって思うんだ。かっこばっか気にして、中身がからっぽ。脈々と受け継いできた“東京の心意気”を、もっと。観光立国を目指していくなら、顧客のニーズにあった“商品”を提供しなくてはなりませんでしょう。それこそわかりやすい“THE TOKYO”を、わざとらしく残していくこともアリだと思う。やるべきことって、観光資源を残す・創造するっていう根本的なこと。下町の町並み保護予算とかどうでしょう。私の血税、どうぞ使ってやってください。
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