北京オリンピックとともに夏が過ぎ、すっかり秋の気配の今日この頃ですが、未だ北京の興奮がさめやりません。
北京オリンピックでは、平泳ぎの北島選手と男子陸上400mリレー、ソフトボールを熱烈応援しました。特にソフトボールは、全てをかけて打ち込んでいるような、そんな選手たちの姿が印象的で、過去3大会とも注目してきた競技であります。2000年シドニー大会で銀メダル、2004年アテネ大会で銅メダル、そして2008年北京大会でついに金メダル。おめでとう! ほんとうにおめでとう! 8年間をかけて、ゴールドメダルを手に入れたんだね! すごいよね。すごすぎるよね!! 感動をありがとううう! てな具合で、本当にこの夏は、胸を熱くいたました。
さて、今。世の日本女子たちが、このソフトボールの上野由岐子選手に黄色い声援を送っているのだそうですね。中断していた日本リーグ再開初戦が9月6日に各地で行われ、上野選手が登板した北海道での試合には、約3000人の観客が詰め掛けたのだとか。3000人は、昨年の2倍というから、すごい人気ぶりです。現在発売中の「週刊現代」9/27号では、酒井順子さんがコラムで「なぜオンナたちは、上野に萌えるのか」を分析していらっしゃる。で、それはある種、宝塚に萌えるのと同じ心理で、決して自分を裏切らない理想の“男”像を上野選手に投影しているのだ、と。
日本女子の一員である私。ご多分に漏れず、はまってます。ええ、上野選手。オリンピック後、上野選手を特集している雑誌という雑誌を買いあさり(洩れがないとはいえません)、上野選手について、だいぶ詳しくなった!(つもり)。
でも、違うんです。「広い肩幅がステキ!」とかそういうんじゃないんです。上野選手をおっかけて、彼女の努力と結果を追体験させてもらうことで、ドーパミンを分けてもらってる感覚。単なる憧れを超えたところにある気分。愛とか恋とか、そういう気分とも違う心模様。ファン心理? 違う。萌え? 違う。もちろん友情じゃない。敬愛でもない。敬慕でもない。わからない。知らない感情なのです。
努力して、努力して、ついに金メダルを獲得したという、その物語にまずなによりも感動しています。スポーツ・グラフィック誌「ナンバー」の711号によると銅メダルに終わったアテネ大会が終わって、次のオリンピックまでまた4年。上野選手にも、この4年という長い時間の中で、更に上を目指すんだという“向上心”を持ち続けることが難しくなってしまった時期があるのだそうです。日本では敵なしのトッププレイヤー。形ばかりの練習で試合に臨んでも、抑えてしまうという現実。そんなとき、宇津木麗華監督の計らいでソフトボール先進国の米国へ留学する機会を得た。北京大会の決勝戦で、米国をねじふせたリーサルウエポン“シュート”は、この留学の成果として実を結んだもののようです。でも上野選手曰く「(略)学んできたことは技術じゃないんです。みんな、上野は米国でシュートを覚えてきて成長したとか言うけど、本当はそんなのべつに大したことじゃないんですよ(笑)。私は常に自分の中で刺激を求めてる」(「ナンバー」711号)。つまり、この米国留学が、上野選手に次なる目標を与えてくれたということなのですね。シュートを覚えたことを「そんなのべつに大したことじゃない」と言う。“自分”を再び奮い立たせることができたことが、何よりもの収穫ということ。そんな4年間を経て、アテネ大会の時とは見違えるような大きな身体になって、北京大会を迎えたのです。
加えて、上野選手のあの風貌も、魅力のひとつであることは間違いない。素朴で。純で。頼もしくて。でも、どこか儚げ。投球する直前、フッと息を吐くあの横顔は、マジたまりません。かっこよすぎ。
この知らない感情に名前をつけてあげたくて、ここんところずっと考えているのだけど、いまだコレというのが見つかりません。
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