2007GW後半は、世界遺産「熊野古道」へ。
長年、行きたいと思いつつ、なかなかだったのが、ついに実現しました。
私の「氏」の由来が、熊野のお使い鴉「八咫烏(やたがらす)」にあるという説(親族内だけだけど)があり、いつかその縁ある霊場へ足を踏み入れてみたい、と思いつつ、東京から行くのは遠いので、ちゃんと時間がとれるときにじっくりと、なんて思っていたらなかなかだった熊野です。
名古屋から、伊勢鉄道伊勢線 特急「南紀」号で、紀伊勝浦まで約4時間。途中、松坂駅で「松坂 牛肉弁当」を購入し舌鼓をうちつつ、ガイドブックを熟読したり、爆睡したり、車窓の風景を楽しんだりしているうちに、到着です。
電車は、到着時間がいちおう決まってるし、ただ乗っていればそれで目的地に到着するので、とてもリラックスできて、疲れているときに大変よろしい。
熊野古道というのは、熊野三山への参詣道のことで、10世紀から15世紀に盛んに行われた熊野詣で栄え、「蟻の熊野詣」といわれたほどだとか。熊野三山は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社をあわせて呼ぶ総称で、それぞれの神社の起源となった自然崇拝の対象は異なるけれども、日本独特の神仏混合の影響を受け、熊野三所権現として信仰されるようになったのだそう。
果てしない山並みが続く熊野は、「山伏(やまぶし)」といわれる修験者たちの修行の場でもある。ほら、あのポンポンみたいな丸いのをつけて、ひし形のお帽子かぶってる強そうな人たち。修験道というのは「飛鳥時代の役行者が改祖と伝わる、太古からの自然崇拝、山岳崇拝に平安時代に成立した山岳仏教や道教などが結び付いた、わが国独特の山岳宗教だとか。
役行者といえば、栗源薫さんのファンタジー超大作 「魔界水滸伝」でせう。永井豪さんのカバーイラスト&挿絵で、それはそれは怪しい雰囲気をかもし出していた名作。中学生だった私は、それはもう熱中して読み込んだものです。美容院にいくのにも持参するほどの愛読ぶりでした。永井豪イラスト表紙本を、美容院に持参する中学生女子って・・・。限りなくあやしいですね。今思うと。
とまあ、そんなこんななバックグラウンドで、熊野にのりこんだわけで。
一番の目当ては、なんといっても「那智の滝」。那智の滝へは、大門坂を行きましょう。ずうっとのぼりの約一時間コース。エントランスには、樹齢800年という杉の巨木が道の両側にそびえ、杉木立の中を延々と苔むした石畳道が続きます。この石畳、鎌倉時代に積まれたのだそうですよ。「熊野那智大社の旧表参道にあたり、杉木立がつきるところに那智山の大門があったことから」大門坂と名づけられたのだそう。
荘厳な那智の滝。ガイドブックによると、その姿は、太平洋からも望めるのだとか。近づくと、かすかにしぶきが顔に降り注ぎ、身体が清められるような感覚です。怒涛の水量に、圧倒されます。滝のパワーを分けてもらって、かえってきました。
チャクラが開いた気がする。
出典:昭文社「にっぽんの旅(15) 南紀・伊勢 熊野古道」
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